最新情報

GORO Communication vol.122 〈真理を悟る釈尊のアナパーナ、サティ〉

<真理を悟る釈尊のアナパーナ、サティ>
今から遡ること2500年前、お釈迦様は長い苦行生活の中で、呼吸を止 める苦しさも可なりされたようです。
それはわが心身を苦しめることによって、高度の精神的境涯を得ようとしたのでしょう。
 
若き日の釈尊、つまり青年太子ゴータマは29歳の時、重大決意のもと、カタビラ城を出て苦行生活に入ります。
それは人間誰しも味わうべき人生の生、老、病、死の苦悩を解決する為でした。
この四苦の悩みを受けとめるべく高い精神的境地に到達したいとの願望から、然るべき師を訪ね、そして苦行生活に身を投ずるのでした。
 
苦行生活とはあらゆる手段でわが肉体を苦しめる生活で、同時に心をも苦しめるものでした。
風雪、寒暑、棘の床に臥す、断食等々数えきれない程に、中でも激しい苦行は 息を止める断息で僅か3~4分間で「脳天を鋭利な刃物」で突き刺された様な痛みに七 転八倒の死ぬほどの苦しみを受けたのです。
 
体はやせ衰えて肋骨もあらわになって、この断息の無益さに気が付いたのです。
丁度その頃、村長(むらおさ)の乙女から牛乳粥の供養を受け、そして断息の代わりに心を込 めた呼吸をしたのでした。これが有名な「アナパーナ、サティ」なる呼吸であった。
 
「アナパーナ」とはサンスクリット語で呼と吸。
「サティ」はそれに意を守るという事で、日本語に訳すと「心を込めた呼吸」となるのです。
「大安般守意経」(アナパーナ、サティ)の中に<吐く息は 長く、入る息は短く>という一説がある。
つまり出るのだけに心を込めて長くすれば、入る息は自然に入ってくるからである。
 
「アナパーナ、サティ」なる呼吸は磨き抜かれた呼吸法であり、大脳を刺激させ、意識を持ってする 呼吸なのです。
呼主従吸、三呼一吸法といった、釈尊が開眼された呼吸法は 2000年の時を経て、白幽仙人、白隠 禅師に受け継がれ、今こうして現代に蘇っているのです。
 
<大自然の叡智・丹田呼吸法の極致は横隔膜の存在>
横隔膜は胸腔と腹腔の間に位置し、お椀を伏せた状態に隔て絶えず境界が上下に移動しており、息を吐くときは横隔膜は上昇し、息を吸うときは下降します。
つまり丹田呼吸の重要性は、ゆっくり長く息を吐き出すことにより、大量の血中炭酸ガスを体外に排出し、これと同時に多量の酸素を血中に取り込むことができるのです。
 
この肺のガス交換と血液循環の両者を活発するためには、極めて積極的かつ意識的な、丹田呼吸による横隔膜の働きを強化する為の、力強い瞬間強腹圧の呼気や長呼気呼吸を継続的に積み重ねていくうちに、気力が充実し逞しさが身に付き、あらゆる臓器への横隔膜によるマッサージ効果が、全ての病気を予防、快癒させ更にはみずおちの真後ろにある太陽神経叢こそ、自律神経の集合体を整える究極のツボという事です。
 
お釈迦様も白隠さんも青年の時代に呼吸法で大きな失敗をしました。
失敗も大きかっただけに本物の正しい呼吸法の真理を悟り、人生に編を福となし得る喜びを取り戻しました。
 
アナパーナ、サティは現代の私共にとり又とない幸運を約束しております。
一度失った健康を取り戻すためにも...。